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一つの仕事でも、何日かかっても、それができ上がるまでゆっくりと「待つ」心で、子どもたちを指導することです。その間、子どもはたくさんの失敗の体験をします。そうした失敗の体験の中から、その失敗をくり返さないように考えたり、新しい方法を試みたりする状態が生ずるのです。それによって、思考の多角化が起こるのです。自分で考え、自分で試みることができれば、自発性の発達も実現されます。

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密着した育児は運動能力の発達に合わせて、徐々に離れている時間を増やして行かなければなりません。いないいないバーと別離不安誰もが赤ちゃんをあやす時に、ついついやってしまうのが「いないいないバー」と「高い高い」です。手で顔を隠してやってみたり、ベビーベッドの下から顔を出したり、色々なバージョンで「いないいないバー」また、抱っこした子供に、ついつい「高い高い」をやってしまいます。これは恐らく本能的にやってしまうのだと思います。いないいないバー」や「高い高い」は、赤ちゃんにとって、とても大切な意味合いを持っているのです。

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幼児の何かに役立つと考えてのことでしょう
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子どもには自己統制の能力が育ち
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幼児への要望というひとつのメッセージなのです
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子育てだけでなく掃除洗濯

という言葉を使わないので、まず、いまの教育はたいへんな間違いをしている。末梢の問題ではない。土台と根本がなっていない教え方がどうの、教科の内容がどうのといった、ク罚頁11%.俗に、鉄は熱いうちに打て、という。ところが、いまの教育、すくなくとも学校教育は、わざと鉄を冷たくしてから打ち始め、どうも鉄は思うような形になってくれないと文句を言っている。鉄工所でそんなことをすればたちまちつぶれてしまうだろうが、学校はありがたいことに、悪いのは能力の低い鉄である、などとうそぷいていられるそもそも、こどもが歩いて学校へ来られるようになるまで、教育はできないと考えるのは前世紀の旧思想である。生れてすぐから、外界を認識する営みは始まるわけだから、教育もそのときに始まらなくてはならないはずだ。

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子どもの言うことを信じて幼稚園の時と同じように、子どもと仲良くするのだ。仲良くと言ってもゴマをするのではない。大人として子どもが頼りたくなるように接しながら、社会のルールなどを教えて行くだけだ。子どもは放置していても育つと勘違いしている時もある。本来はそれぞれの親がやるべきことなのだが、その親自身がルールを守れなかったり、違うルールで生きていたりする上に、そう言う親に育てられた子どもに対しては親の代わりに子どもをしつけるしかない。

しつけはいよいよ荒れ乱れるというおそれもある

その結果、学校の行事に参加すると、長男のクラスメートのほとんどから話しかけられるようになった。町を歩いていてもあちこちで「00のとうさんや」と言って、手を振って挨拶されるようになった。ここまでくればもう、長男もいじめられようもなくなる。それでも、ソーシャルスキルの低さから小さなトラブルが起こることはなくならない。それは担任への文書に著しての相談で解消していった。

子どもの存在を知ってもらい


教育における私の体験私の
僕の方が強いんだから、僕が下の子を守ってあげるんだ。という意識が生まれるんですね。兄弟ゲンカってとっても大事で、ものすごく価値のある事なんです。それを親が止めに入ったり、下の子がかわいそうだからって下の子をかばって、上の子を叱ったりなんて、してほしくないんですね。これがもし、上の子が下の子をいじめる···のような嫌がらせや執拗ないじわるがあるとしたら、それはケンカに問題があるのではなく、それ以前にそうなる理由がどこかにあると考えられます。ケンカ自体をやめさせようとするよりも、根本的な原因を探して、その原因を解決する事が必要になってきます。

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これっていけない事?ぐずりや癇癪、これも沢山のお母さんが頭を抱えておられます。ある一定の年齢が過ぎると、子どもは自分の願いを叶える為に、様々な方法を試し始めます。その1つがぐずりであったり、あれをしたい、これをしたい.OOが欲しい!!とムリな要求をする事があります。ムリな要求、理不尽な願いがあれば当然お母さんは「それはムリだよ」と伝えます。自分の願いを叶えたい子どもは、自分の願いを聞き入れてくれない事に何とかしてその「ムリだよ」を覆そうとします。

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「どうして間違えたのかな」と一緒に考えてください。と叱っても意味はあ間違えた場所と理由がわかれば、次は間違えないためにどうすればいいかを、また一緒に考えます。子どもの意見も聞き、「じゃあ次はこうしてみよう」「ここで確実に点を取れば、次は0点は取れるね」と次のテストに期待感をもてるような声かけをしてください。子どもたちが寺子屋にテストの結果をもってくると、その表情を見ただけで「ああ、悪かったんだな」「もっといい点だと思ってたんだな」と、その子がどう受け止めているかがわかります。特に前回より下がった子は落ち込んでいます。

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そんな時、たとえば前回七0点だったのに今回六0点だったとしても、まずほめるところを探します。一緒に見直しながら、「あ、でも計算合ってるじゃない」「ここは難しいけど、こっちが合ってるからあと一息だよ」というふうに「いいところ」を見つけてほめていくと、子どもの表情はだんだん和らいできます。極端な話、たとえ0点でも全部埋めていたら「全部書いてるやん」とか、もうほめるところがない!という時は「字、きれいやなー」と言うこともあります(笑)。そういう気持ちで見ると、ほめるところがまったくないなどということはありません。こうやって「思ったより叱られなかった」「なんだ、意外とできてるところもあるんだ」上がってくれば、その後は少々厳しいことを指摘しても大丈夫です。

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児童とのコミュニケーションを楽しみましょう別に私がコンプレックスを抱くこともない。学力とは、能力の一つでしかなく、生きていくための道具でしかないからだ。それ自体でその人の価値が決まるのではない。人の価値を決めるのは持っているものでも、持っている才能でもない。持っているものや才能をどのような形で使うかによって決まる。

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その時、か」「お姉ちゃんはそんなことなかったのに」と言ってしまってはいけません。「あなたはどうしてそうなの行動を叱り、理由を説明するのです。ぼくはこんなふうに言います。うるさくしたらダメだろう。授業を聞こうとしている友だちの邪魔になるやん。を見ている時に、横で大音量で音楽を聞かれたらイヤやろ?自分だって大好きなアニメ行動を叱り、理由を説明するだけなので、あっさりとした叱り方になります。それ以上の言葉は必要ないの「叱るのは短時間」を徹底してください。

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同時に、子どもの言い分も聞いてあげてください。頭ごなしに叱るのはよくありません。感情的に怒ってしまったなと思っても、途中からでもいいので、子どもにも言い分を話させてください。思いがけない子どもの考えが出てくることもあります。また、自分の考えを聞いてくれたうえで「それでもやっぱりダメだよね」という話になれば、子どもも納得します。

子どもを保育園に預けて働いていると

子どもの健全な成長においてはとても重要なことのようなのですだから

「うちの子は勉強ができない」「本当に勉強嫌いだな」と思ったら、小さい頃からの接し方を一度振り返ってみてください。どんな子も、「これは何?」「なんで?」と知りたがる時期があります。その時、適当にいなしたり、「いいから早くしなさい」とさえぎったりしていなかったでしょうか。今からでも遅くはありません。押し付けは反発されるので、今子どもが好きなもの、興味をもっているものを「どこが好きなの?「人気があるの?」と親も興味をもって聞き、一緒に楽しんであげてくださいどんなに遅れてもやり直しはできる寺子屋を始める以前の話ですが、小学生の時、まったく授業を聞いていなかったという子が入ってきたことがありました。中学三年生で、九九も完全には言えません。

幼児が何か悪いことをしでかしたときなんかにキーワードが利用されますよね
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幼児が発した単語だけで
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子どもをいたぶるのだけはやめてください

しつけができない園長先生や主任先生もおられます正直、この時はさすがにどうしてあげたらいいのだろうと途方に暮れました。小学校ではかなりやんちゃで、精神的に不安定だったということです。人にとっては落ち着いて勉強できる状況ではなかったのでしょう。くわしい事情はわかりませんが、うちに来た時は反抗期も過ぎ、精神的には落ち着いていました。けれども中学三年生の内容を教えても理解できるはずがありません。

育児の核として

育児ではない-という人がいますこの発言は以前に経験したことをしっかり脳に固着させて覚えておくことは、「長期記憶」と呼ばれます。「長期記憶」かいばの中の細胞が刺激されることで、ここに蓄えられます。は古い脳の中にある数千万個の神経細胞から作られている部分です。古い脳両方からの神経とたくさんのシナプスを作っていて、主に記憶をとっておく場所として考えられています。細胞が刺激され海馬の中に蓄積された記憶は、必要に応じて前頭葉に呼び出されて「そうそう、こんなことがあった」と思い出すことができると言われています。しつけママではないことを強調しましたこの海馬の細胞は、ストレスに弱い、しっかり記憶を固着させるのは睡眠中であるというデータがあります。ということは、長期記憶をしっかり鍛えるためには、ストレスが少なくて、しかも睡眠がたっぷりとれる生活が大事だということになります。この2点は子どもの脳育て全般にとっておさえるべき重要なポイントでもあります。「短期記憶」には「しりとり」が効く方、たとえば暗算をするときには、先に言われた数字を覚えてあとから聞いた数字を足すなど日常のさまざまな場面でちょっとした記憶が使われます。このちょっとした記憶のことを「短期記憶」これは主に前頭葉の働きです。

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子供とのコミュニケーションにおいてはむしろ有効なテクニックになります

子どもがお友だちにけがをさせた場合は炭水化物、タンパク質、そしてビタミンと脂肪がそこそこ摂れる組み合わせ、ら、調理というほどの手間もかかりません。納豆、味噌汁とおひたし、あれば焼き魚、なければしらすと大根おろしでも)などで十分なんです。また、お風呂も冬場であれば毎日入らなくてもOKです。もちろんテレビは「省略できるもの」これならば、たとえば7時に家に帰ってきても、8時には寝かせることが可能になるのです。お母さんが好きなことをする「ゆとり時間」現実には7時に帰ってきて8時に子どもを寝かすのは、本当に大変です。子どもにも静かにしなさいと注意するでしょうそれをあからさまに口に出して幼児が

幼児自身の言葉を引き出すようにしていただければ

育児はできないと考えるのは前世紀の旧思想である

ここさえ頑張って集中して、とにかく8時に寝かしつけてしまうのは、実は親御さんのためでもあります。そのあとの時間はすべて自分のために使えるからです。たまった家事をこなす、ゆっくりお風呂に入ってリラックス、読書や晩酌、夫婦の会話を楽しむなど、子どもが起きて活動している時間には難しいことが、なんでもできてしまいます。私の経験でも、子育てしていることなどすっかり忘れられるこの時間があるからこそ、ハードな毎日をなんとか乗り切ってこられたのだと思っています。8時に寝かせたらその代わり、朝はちょっと早めに起きて子どもと一緒に遊んだりお散歩に行ったりして、コミュニケーションをはかりましょう。体もバッチリ目覚めます。

幼児同士が少々ケガをするようなトラブルを起こしても

児童心理や教育についての専門誌などでもたびたび取り上げられます。を取り上げた特集があります。その中で筑波大学教授の『児童心理』(2008年3月号金子書房)新井邦二郎氏は次のように述べています「男の子問題」小さいころから、ケンカなどして争うことは禁止される。いわば「親子の社会初参加」である「公園デビュー」では、子どもを通して親が品定めされる。だから、子どもが礼儀正しく振舞うよう親はいつも気を遣う。とくに気を遣うのは争いとであり、ケンカや乱暴はご法度である。

育てておけば

女子のDNAはこうした環境に順応していけるが、男子のDNAはこの時点から萎縮していく。結局、男の子は小さいころから男子のDNAを発揮することなく、小学校での女子の「思春期スパートのなかで、ほぼ「去勢状態」に陥る。家庭によっては強い母親によって、男子の「去勢状態」はさらに完成されていく。こうして「生きる意志や意欲」の感じられない男の子、いつもびくびくしている男の子など、気になる子どもが多くなってくる。男子はひたすら自分ばかりでなく家族までを養うだけの稼ぎを行う社会的義務を負わされている。
子どもはやがて一人で巣立ちますそのとき

子どもは合宿中も

少しでも怪しいところがあれば、即座に対応するためだ。中学の授業進度は速いので、少しでも後手に回れば、学校の授業に着いていけなくなる。定期テストでは得点そのものはあまり気にしないようにした。それよりも、できるはずの問題でミスをしないことを意識するようにして、テスト中に答えられなかった問題は必ずテスト後に答えられるように復習をするように助言した。テストはそれまでの学習の修得度を確認するためのものであり、生徒を評価して順位付けするためのものじゃない。

育てることが必要ですしかし

だから、その得点の高い低いにはこだわらせなかった。低くても良い。それよりも、テストをやり直してどの問題も理解できるまで食らいつくことが、勉強の本質だ。当然こう言うことは、長男に任せっきりで放置していて良いものではない。緒に考えるのだ。同じ間違いを繰り返していることは、かなり口を酸っぱくして注意をする。しかし、分からないことをけなしたりはしない。