幼児のために一肌脱いで

子どもが勝手に動き回ってしまい

幼児同士の遊びが協調運動脳を最も鍛えると言われています
その結果、学校の行事に参加すると、長男のクラスメートのほとんどから話しかけられるようになった。町を歩いていてもあちこちで「00のとうさんや」と言って、手を振って挨拶されるようになった。ここまでくればもう、長男もいじめられようもなくなる。それでも、ソーシャルスキルの低さから小さなトラブルが起こることはなくならない。それは担任への文書に著しての相談で解消していった。

クルマの運転もそうらしいが、女のあとにはつかぬに女性はしとやかなものと言われてきた。生れつきそうだったわけではなく、しつけによって身につけたマナーだったのだろう。そのしつけがなくなって、しとやかな女性は荒々しい女神に変貌してしまったのだろうか。いくら女神でも荒びてばかりいては、あまり美しくない。教育母子手帳これからの人づくり味での教育と解釈して、という題を与えられたけれども、私は人づくり、日頃考えていることをのべてみたい。

子育てだけでなく掃除洗濯

という言葉を使わないので、まず、いまの教育はたいへんな間違いをしている。末梢の問題ではない。土台と根本がなっていない教え方がどうの、教科の内容がどうのといった、ク罚頁11%.俗に、鉄は熱いうちに打て、という。ところが、いまの教育、すくなくとも学校教育は、わざと鉄を冷たくしてから打ち始め、どうも鉄は思うような形になってくれないと文句を言っている。鉄工所でそんなことをすればたちまちつぶれてしまうだろうが、学校はありがたいことに、悪いのは能力の低い鉄である、などとうそぷいていられるそもそも、こどもが歩いて学校へ来られるようになるまで、教育はできないと考えるのは前世紀の旧思想である。生れてすぐから、外界を認識する営みは始まるわけだから、教育もそのときに始まらなくてはならないはずだ。

子どもは基本的に沈黙を嫌うので


子どもの言うことを信じて幼稚園の時と同じように、子どもと仲良くするのだ。仲良くと言ってもゴマをするのではない。大人として子どもが頼りたくなるように接しながら、社会のルールなどを教えて行くだけだ。子どもは放置していても育つと勘違いしている時もある。本来はそれぞれの親がやるべきことなのだが、その親自身がルールを守れなかったり、違うルールで生きていたりする上に、そう言う親に育てられた子どもに対しては親の代わりに子どもをしつけるしかない。

しつけはいよいよ荒れ乱れるというおそれもある

その結果、学校の行事に参加すると、長男のクラスメートのほとんどから話しかけられるようになった。町を歩いていてもあちこちで「00のとうさんや」と言って、手を振って挨拶されるようになった。ここまでくればもう、長男もいじめられようもなくなる。それでも、ソーシャルスキルの低さから小さなトラブルが起こることはなくならない。それは担任への文書に著しての相談で解消していった。

子どもの存在を知ってもらい


教育における私の体験私の
僕の方が強いんだから、僕が下の子を守ってあげるんだ。という意識が生まれるんですね。兄弟ゲンカってとっても大事で、ものすごく価値のある事なんです。それを親が止めに入ったり、下の子がかわいそうだからって下の子をかばって、上の子を叱ったりなんて、してほしくないんですね。これがもし、上の子が下の子をいじめる···のような嫌がらせや執拗ないじわるがあるとしたら、それはケンカに問題があるのではなく、それ以前にそうなる理由がどこかにあると考えられます。ケンカ自体をやめさせようとするよりも、根本的な原因を探して、その原因を解決する事が必要になってきます。

子育ての勉強を始めるとここはこうすればいいのにとかああ

これっていけない事?ぐずりや癇癪、これも沢山のお母さんが頭を抱えておられます。ある一定の年齢が過ぎると、子どもは自分の願いを叶える為に、様々な方法を試し始めます。その1つがぐずりであったり、あれをしたい、これをしたい.OOが欲しい!!とムリな要求をする事があります。ムリな要求、理不尽な願いがあれば当然お母さんは「それはムリだよ」と伝えます。自分の願いを叶えたい子どもは、自分の願いを聞き入れてくれない事に何とかしてその「ムリだよ」を覆そうとします。